「遊び」

今の世の中はいい意味でも、悪い意味でも、「遊び」が少なくなっている。
成果や効率化を重視し、無駄なものを極力排除する方向に進んでいる。

世の中全体の生産性が上がる事は良い事だと思う。
しかし、「遊び」が無い世界で本当に人は幸せになれるのだろうか?

決して昔のような「遊び」が多くて生産性の低い世界に戻りたいと思ってるわけではない。
ただ、「遊び」を多く経験した方が人としての幅が広がり、より良いものを創造できる人間になれるんじゃないかと思っている。

生産性が上がった事により生まれた時間を更なる生産や、無意味な時間により消費している事が問題だと思う。

更なる生産を行い収入をアップさせる事は否定しないが、この方法では線型的なアップしか望めない。
非線型的で急激なアップを実現したいなら、今までとはアプローチを変える必要がある。

斬新な新しいアイデアのヒントは「遊び」の中に隠れている。
アイデアのヒントを見つけるための活動が遊ぶ事であり、敢えて無駄な事をする事でもある。

越後湯沢の街並みを新幹線から見てて「遊び」についてきちんと考えないといけないと思った。
80~90年代この街はかつて、「遊び」が溢れた待ちだった。
多くの人がレジャーを求めて訪れた。
家から日帰り圏内だったということもあり、私はこの時代に宿泊した記憶は無い。
でも、きっと多くの人で溢れかえり活気があったんだと思う。
そしてそこには「遊び」を含めて色々なものがあったと思う。

2000年代には何度か滑るために宿泊した事がある。
駅前の温泉街やスキー場もそこそこ活気はあったが、かつてのように「希望」が溢れている感じはしなかった。
全盛期の活気を肌で感じてみたかったが、またそんな時代は訪れるのだろうか?

今、この街が一番活気溢れるのが7月末の3日間。
FUJIROCKが開催される期間である。
日本中、世界中から音楽を愛する人々が集まる。

音楽を聴くことが目的であればiPhoneで聞くのが簡単だし、
都市部にある会場でライブを開催するのが快適だし容易である。
しかし、あえて不便で遠い越後湯沢の山奥でライブを開催するというのは、究極の「遊び」なんじゃないかと思う。
ここには希望や夢が溢れている。
この希望や夢は「遊び」から生まれたんじゃないかと思う。

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